“海辺より (from Seaside)”



初回特殊パッケージ仕様
dear Air
2010.9.15 Release
DAIR-001

1. Prelude
2. ホワイエの飾画 (picture of foyer)
3. Jardin
4. 或る花の矛盾 (contradiction of a certain flower)
5. Y.
6. "Love" is the...
7. Intermezzo
8. dans la mer, dans tes yeux
作品について

 本作は、完全アコースティック楽器によって演奏されている。ある意味フィナーレのような管弦楽によるプレリュードより始まり、多方向な視点で描かれた楽曲群を見渡し、その中心には10分に及ぶ大胆なフィールドレコーディングが配置されており、ラストには完全インプロヴィゼーションという手段によってアルバム『海辺より』の物語が見事に完結している。

 前作に引き続き、ストリングスセクションにはEGO WRAPPIN'やmama!milkなどにも参加している弦楽奏者&作曲家の波多野敦子、ホーンセクションには今年7月にflauよりファーストアルバムを発表するサックス奏者&作曲家のkanazu tomoyuki。録音、ミックス、マスタリングは、ボアダムスなどを手がけたことで知られている林皇志を迎える。綿密に、そして音からアートワークに至まで一貫して表現そのものに対して誠実に仕上げられている。

祈りのような歌は、より繊細で静謐な質感をもって聴く者により深い安堵のようなものを与え、進行して行く。強い意志をもって「音楽」と「私たち」に捧げられた秘かな物語。

1. Prelude (2:18)
ホワイエの飾画 (5:19)
Jardin (2:43)
或る花の矛盾 (4:15)
Y. (10:41)
6. "Love" is the... (4:24)
7. Intermezzo (5:06)
dans la mer, dans tes yeux (10:21)

試聴:short version (mp3)http://www.mujika.net/music/prelude.mp3http://www.mujika.net/music/y.mp3http://www.mujika.net/music/Love_is_the.mp3shapeimage_17_link_0shapeimage_17_link_1shapeimage_17_link_2
 
Artwork by Yuichi Higuchi
 Mujika Easel
Produced by Mujika Easel
 Information 

TOWER RECORDS、Amazon.com、その他店舗にて、2010年9月15日に発売開始予定。

デジタルダウンロード販売は今の所予定しておりません。
小売店等取り扱い店舗詳細は後ほどお知らせいたします。

dear Air

ライナーノーツ


「海辺より」 


 手で触れることも、目で見て確かめることも出来ない空気のふるえを慎重に入れ替えながら、音楽を作ってゆく、その作業の途中で、鳴っている音のひびきの移り変わりに耳と指を獲られたまま、気が付くことが出来ないほどにながく、言葉とは無縁の時間を過ごしてしまうときがある。

 放っておけば、おそらく二度と繰り返されることのない、ふたつやみっつの音のつらなりを、楽器というシステムに通して調律し、かたちを整え、なんどもその輪郭をなぞって、紙に書きとめることが出来るほどに色濃い一本の線へとまとめあげてゆく作業。ひと綴りのラインに還元されたこの振るえは、それが一度書きあがってしまったならば、自身が引き直されているあいだに含んでいた無数のゆらめきを綺麗に消し去り、そこにあった曖昧な時間の過ぎ去りを、はじめから存在しなかったもの、もう思い出すことすら出来ないものへと、かえてしまう。

 演奏すること、作曲すること、愛の言葉を唇にのせること。世界からぼくたちが選び取る縮減行為には、常に残酷な歓びがつきまとう。生まれ得なかったものを作り出すという行為への歓喜と戦慄が、演奏が終ったあとのぼくたちには残されている。

 ここにある、彼女の音楽にきざまれているさまざまな震えは、出来るだけ長く、深く、彼女がこの宙吊りの時間のなかに留まっていたこと、いまでもそのゆらめきに心を残し続けていることの証であるとぼくには思える。海辺の風の音、波の音。そこには確かに、まだ人間の手が触れていない音のつらなりがあり、可能性に開かれたままの複数の線が響いている。録音という作業によってはっきりと聴き取ることが出来るようになったこのひろがりに身を浸すこと。海も、それを記録する磁力も、地球上にあらわれたメカニクスのひとつであるとするならば、ぼくたちの手と言葉もそのひとつである。このアルバムで試みられている歌は、常に失われ続けるものを生み出し続けてゆくわれわれへの祈りであり、過去と現在へと引き裂かれてあることが、そのまま「自然」であるというぼくたちの生への供物であるだろう。この音楽を聴きながら、訪れたことのない場所を、ぼくは何度も何度も懐かしむ。


2010/06/16 大谷能生記